2003年シングル「しあわせになろうよ」でシングルの総売り上げは1000万枚を突破。
さらに、ソロ・アーティストとして12枚のオリジナル・アルバムでオリコンチャート1位獲得という、金字塔も打ち立てている。また、2002年の横浜スタジアム、2003年の赤レンガパークなど、数々の会場での動員記録を塗り替え、2004年・夏、桜島の荒地を開拓して作った野外会場でのオールナイトライブでは、日本全国から75,000人を集めるという驚異の集客力を見せつけた。
経済効果50億と言われたこの公演は、音楽界のみならず、国内に大きな衝撃と感動を与えた。その会場跡地には記念モニュメント『叫びの肖像』が建立され、現在、公園事業計画が進んでいる。音楽の持つ力と可能性を、日本に示した瞬間といえるだろう。
2009年ユニバーサルミュージックへ移籍。移籍第一弾シングル「卒業」は、NHK「課外授業 ようこそ先輩」を通じて知り合った、現役高校生40名との共作。卒業ソングの新たなる名曲が生まれた。
同年7月、第2弾シングル「蝉 semi」を、8月には前作から2年3ヶ月振りとなる待望のニュー・アルバム『FRIENDS』を発表し、全国6ヶ所10公演のアリーナ・ツアー、さらには13ヶ所20公演の弾き語りホール・ツアー、そして自身初のカウントダウン・ライブで、目まぐるしい移籍1年目を締め括った。
翌2010年も休むことなく走り続け、6月には豪華30周年記念ボックスセット『30th Anniversary BOX from TSUYOSHI NAGABUCHI PREMIUM』をリリース。さらには米軍基地問題に揺れる沖縄への愛を歌った「俺たちのニライカナイ」を8月に緊急シングルとしてリリース、そして10月にはシルベスター・スタローン監督・脚本・主演の映画「エクスペンダブルズ」日本版主題歌「絆-KIZUNA-」をリリースした。
プロモーション来日したスタローンとの対談は、大きな話題となった。さらには、前作から僅か1年余りでニュー・アルバム『TRY AGAIN』をリリース、その勢いのままに、新たなバンドを引き連れての8ヶ所14公演(沖縄でのカウントダウン・ライブも含む)の全国アリーナ・ツアーを行なった。
2011年の東日本大震災後は、いち早く復興支援ラジオ番組を立ち上げ、自らの足で被災地をたびたび訪れた。なかでも、航空自衛隊松島基地で敢行した自衛隊員激励ライブは、全国を感動の渦に巻き込んだ。年末には石巻市門脇小の校庭から生中継で「ひとつ」を歌い、シングル・ヒットを記録。これらの経験から生まれた多数の歌を収めたアルバム「Stay Alive」を2012年5月にリリース、同年に行われた全国ツアーは、合計36本、のべ25万人動員した。
2015年3月6日、オールナイトライヴの序章とも言えるホールツアー「長渕剛HALL TOUR 2015 ‘ROAD TO FUJI’」(全国13会場14公演)をスタートし、5月8日のプレミアムライブ、鹿児島アリーナで締めくくった。
そして、2015年8月22日「長渕剛10万人オールナイト・ライヴ 2015 in富士山麓」を開催。夜を徹して歌い、拳を突き上げ、泣き、笑い…同公演は、長渕剛にしか成し得ることができなかったと言われる、壮大なスケールの想像を遥かに超えた伝説となった。
2017年には5年ぶりのニュー・アルバム「BLACK TRAIN」をリリース。2017年、2018年と全国ツアーを開催。自身デビュー40周年となった2019年には、主演映画「太陽の家」の上映とコンサートを融合させた「CINEMA & LIVE 2019 太陽の家」を開催。
音楽以外の多方面でも才能を発揮し、俳優としては、TVドラマ「家族ゲーム」「親子ゲーム」「とんぼ」、映画「オルゴール」「英二」他で主演し、その個性的な演技で高い評価を得ている。2020年には20年ぶりの主演映画「太陽の家」が公開された。
さらに芸術分野では、1998年に東京・銀座の「日動画廊」に於いて初の詩画展を開催。2000年の第2回、加えて鹿児島、福岡、とそれぞれ約2万人を動員。2013年~2015年にも全国各地で詩画展を開催している。
音楽のみに限らず、芸術、絵画のジャンルなどでも様々な魅力を発揮する彼の真摯な姿勢が、若者たちを中心に多くの支持を集めている。