LIVE REPORT
表現とは破壊の衝動である
二〇一七年八月二二日、一夜かぎりのプレミアムライヴが開催された。そう、五年半ぶりのニューアルバム『BLACK TRAIN』をたずさえて、長渕剛が武道館にのりこんできたのだ。午後七時一〇分。会場のあかりが消え、ステージにはりめぐらされた白い布に、プロジェクターがうつしだされた。
おおきな文字で、こうかかれている。「管理社会にあざむかれるな。表現とは破壊の衝動である。破壊しながら創造していく創体になれ」と。するとパッと布がはぎとられ、なかから黒いバンダナに黒いロングコート、黒いサングラスを身につけた長渕がギターをもってあらわれた。うおおお!!
大歓声のなか、はじまったのは「Black Train」だ。「アオアオアオ、シャー、Running the Black Train。時代に放てよ、ザクザクと。シャー、いくぞー!!」と長渕がさけぶと、まってましたといわんばかりに、会場から拳がつきあがる。ハゥ!ハゥ!ハゥ! もうとまらない、とめられない。真っ黒に染まり、もうなんにも染まらない、なんにもしばられない、なんにもしたがわないと、そんなおもいをのせた黒い列車がはしりだしたのだ。暴走、暴走、暴走だ。
一曲目がおわると、長渕は赤地に黒のノースリーブになり、鍛えあげられた両腕をあらわにした。そして二曲目、「Loser」だ。サビの部分。長渕はゆっくりと拳をつきあげると、大声でさけびあげた。「オレは唄う、敗北のメロディー。泣きながら唄う、敗北のメロディー」。観客も拳をつきあげ、みんなでさけんだ。「Woh・・・Loser!」。成功をおいもとめて、カネにしばられて生きるより、全力でやりたいことをやりまくって、負けて生きたほうがまだマシだ。宣言しよう。敗北上等だ!
すごかったのは、三曲目「マジヤベエ!」。長渕が「うたうぞー!」とさけぶと、会場からはハゥ!ハゥ!ハゥ!と拳があがる。それをもっともっとと煽るかのように、ドラムの爆音がくわわってくる。ハゥ!ハゥ!ハゥ! 拳!拳!拳! どんどんスピードをましていく。会場の熱気が、いまにも爆発しそうなのがわかった。そこにさらにハッパをかけようと、長渕自身が爆発していく。
「ドロップホールのブラを引きちぎり、俺はしゃぶりつく」、「極道ざんまい、筋を立てれば、あそこが立たねえ」。そして絶叫だ。「マジヤベエ! 超やべえー!」。そういうと、すかさずペットボトルの水を股間にはさみ、ブンブンブンッとおおきく腰をふった。すると、水がビシャビシャッと会場にとびちった。「今日はビンビンだぞー」と長渕がいうと、会場がどよめいた。そう、あのころのわるいアニキが返ってきたのだ。長渕がやりたいほうだいやっている。マジヤベエ!
長渕は、いつだって命がけの祭典をやっている
さて、ライブも中盤。すばらしかったのは六曲目だ。アコースティックギターを手にもって、長渕がやさしくやさしくうたいあげた。「おいで僕のそばに、抱きしめてあげるよ」。いつもはげしいところに目がいきがちだが、長渕はバラードがとんでもなくうまい。世のなかには、こんなにきれいな声があるのかというくらい、高くすきとおった声でうたいきった。最高だ。
そして九曲目。長渕がものすごい勢いでギターをかきならすと、それにあわせて赤、白と照明が点滅しはじめた。うたいだしたのは「お家へ帰ろう」二〇一七年バージョンだ。長渕が怒りの声をあげる。テレビじゃ不倫だなんだといって、ちょっとでも社会規範をはずれたひとがいると、よってたかってぶったたき、謝罪会見をひらかせる。一億総いじめだ。そんなことばかりやっていたら、互いに互いを監視して、他人の目を気にしたことしかできなくなってしまう。自由の去勢だ、管理社会だ。
だから長渕はうたうのだ。「ああ、国会議事堂へいこう。ああ、しょんべんひっかけてと言ってもよ! ああ、うしろにゃだれもいやしねえ」。最後、あれ?とおもわれるかもしれないが、ついてくるなといっているんじゃない。たとえ一人でもたちあがるんだ、一人になってもこの腐った社会にションベンをぶっかけてやるんだといっているのだ。会場からは「オレもやるぞ、わたしも」とそんな声がとびかっていた。
ライブも後半、長渕がこう語りかける。「今年はね、もうひとつ突発的なことをやるよ。ほら、もうすぐ誕生日じゃん。四六歳の」。みんながあっけにとられていると、長渕が「そこ笑うとこだろう」という。大爆笑だ。そして発表したのだ。「九月五日に、大阪城ホールでバースデイライブをやります」。もう大盛りあがりだ。
そうこうしているうちに、もう一五曲目。長渕がこうはなしかけてきた。「富士はいささか無謀だったけど、やる意味あったな。あの一瞬にかけて、命がけの祭典をやったんだ。この時代に、俺たちみんなでほんのすこしひっかき傷をのこせたかなあとおもってる。みんなほんとうにありがとう。感謝してます」。そしてうたったのは「誰かがこの僕を」だ。高く、高く、でも腹の底からわきあがってくるような太い声で、この歌をうたった。「苦しみを越えたら、いつかきっと誰かがこの僕を必ず待っていてくれるだろう」。みんながおもったんじゃないかとおもう。こちらこそありがとう、ツヨシ!
いちどステージをあとにした長渕だったが、すぐにもどってきてくれた。ドスンドスンとおもたいドラムがうちならされ、ステージがどす黒い赤で照らされると、長渕がこうさけぶ。「桜島だー!」。うおおお!! ふたたび怒号のような歓声があがる。「オーオーオオッ、オーオーオオッ、オーオーオオッオー」。いつもよりはやい。ドラムのスピードがどんどんあがっていく。「歴史の雨に、雨に、風に、風に、嵐に、嵐に、雷雨に、雷雨に打たれ、なおも挑みかかる島よ、岩肌よ、情熱のつらをだす」。力強い。まるで雨や風、嵐や雷雨になって、なにかをぶちこわそうとしているかのようだった。
間奏のあいだ長渕が氷水に顔をつっこみ、全身にぶっかけているのがみえた。この日、ステージの温度は五〇℃ちかくになっていたという。長渕が、死力を尽くしてうたっている。富士だけじゃない。長渕は、いつだって命がけの祭典をやっているのだ。そんなおもいにこたえるかのように、わたしたちも両手をあげて、全力で左右にブンブンとゆれた。「オーオーオオッ、オーオーオオッ、オーオーオオッオー」。会場からも気迫がかんじられた。管理社会をぶちこわせ、表現は破壊の衝動なんだと。
ラスト、一九曲目は「Can you hear me?」。「みちの途中、何度も何度も叫んだ叫んだ。叱る声もなく、星だけがゆっくり流れた」。長渕がそううたうと、会場全体にパッと照明で星がいろどられた。きれいだ。この社会で本気で暴走しはじめると、かならずいちどは孤独になる。でも、それでもさけびつづけていると、かならずだれかがまっていてくれるのだ。そんなことを長渕がやさしい歌声でおしえてくれている。
アンコール。最後にもう一曲ということで、長渕がうたってくれた。「さようならの唄だけは置いていくよ。僕らの新しい出会いのために」。わたしたちは、これから長渕とあたらしく出会いなおすために、いったいなにができるのだろうか。ヒントはもうもらっている。Black Train。とめられない、とまらない。暴走、暴走、暴走だ。カネのことなどクソくらえ。世間のことなどしったことか。この腐った社会に、ションベンをぶっかけてやれ。敗北上等、やりたいことしかもうやらない。マジヤベエ!