LIVE REPORT
ハッピバースデイ、ディア、ツヨシ!
二〇一七年九月五日、大阪城ホールに長渕剛がやってきた。先日、武道館ライヴでサプライズ発表されたバースデイ・ライヴだ。発表から二週間ほどにもかかわらず、会場は満席。開演前から、怒号のような剛コールがなりひびいていた。午後七時一五分、開演。とつぜん会場の照明がきえたとおもったら、ステージをかこっている白い布に画像がうつしだされた。白いロングコートにサングラス、黒い帽子をかぶった長渕が、バースデイケーキを手にもって、おどけた表情でロウソクの火を消そうとしている。会場からドッとわらいがおこった。すると、一万数千人もの観客が、しぜんとバースデイ・ソングをうたいはじめた。「ハッピバースデイ、トゥー、ユー。ハッピバースデイ、トゥー、ユー、ハッピバースデイ、ディア、ツヨシ、ハッピバースデイ、トゥー、ユー」。「おめでとう、剛!」。かけ声とともに、おおきな拍手がおくられた。
と、そのときだ。スッと照明がきえてまっくらになり、ふたたびスクリーンに文字がうつしだされた。「俺には言いたいことがある。旧体制をぶち壊せ。管理社会にあざむかれるな。表現とは破壊の衝動である」。そしてすかさず、あのメロディーとともにPVがながれはじめた。そう、「Black Train」だ。大歓声のなか布がはがされ、なかから白いロングコートに赤いパンツ、黒いバンダナにサングラスの長渕があらわれた。うおおお!!! ハウ!ハウ!ハウ! 会場中の拳があがり、もうとまらない。全力で暴走だ。「アオ、アオ、アオ。Running that Black Train。荒野をめざし、ガタゴトはしる」。長渕がうたうと、会場の熱気が燃えあがる。いまにも、なにかをぶちこわしそうないきおいだ。
ライヴの前半、すごみがあったのは五曲目、「泣くな、泣くな、そんな事で」だ。コートをぬぎ、赤字に黒いノースリーブ姿になった長渕に、スポットライトがあてられる。すると、長渕はおもいきり拳をつきあげてこう絶叫した。「叩かれだまされ、おまけに追いつめられ、生きることが嫌になるときくらい、俺にもある、シャー!」。
たかくうつくしい、でもとんでもなくドスのきいたさけび声だ。うたいおえると、長渕はギターをブンブンとふりまわし、会場にむけて、口からブシューッと音をたてて、水をぶっぱなした。どんなにコキつかわれても、ふみにじられても、オレはぜったいに自分の意思をまげないぞ、おもうぞんぶん好き勝手にやってやるんだと、そんな不屈のおもいを爆発させたのだ。さあ、生くぞ!
つづく六曲目。長渕がひとりギターをかきならし、「執念深い貧乏性が・・・」とうたいはじめた。いちどとめて「これでいくわ」というと、おおっ!っと、会場がどよめいた。往年の名曲、「カラス」だ。「今日はほんと声がでるから、大阪城ホール仕様のキーにしよう」。そういって、まだ二〇代だろうか、若いスタッフふたりにギターの調整をもとめるが、なかなかできない。それをみた長渕が「キーひとつ変えただけで、ほんとバタバタするんだから」といって、そのスタッフたちをステージにたたせた。すみませんと、観客に挨拶をさせる。大爆笑だ。「あんちゃん、がんばれー!」と声がとびかった。
そうして、会場全体がリラックスしたのをみると、長渕はうたいはじめた。「俺達のゆくさきは真っ暗闇ときまっちゃいねえ。だけどなんだか夕焼けみると、また泣けてくる」。このうたをきいていると、しぜんと涙があふれてくる。そして、さらに涙をさそうかのように、郷愁ただようハーモニカがふかれるのだ。
だれしもそうだとおもうのだが、全力でがんばっても、がんばっても、うまくいかないことがある。それでもおさきまっくらじゃないと必死にがんばるのだが、やっぱり、やりきれない。そんなときは泣いて、泣いて、もういちどたちあがろう。長渕の歌声が、ハーモニカが、そんな感情をよびおこす。そうだ、なんどでも泣いて、なんどだってやりなおせばいい。そんなメッセージをこめていたのか、長渕がとつぜんギターを宙にぶん投げた。ああっ! 会場がどよめくなか、それを必死に若いスタッフがうけとめた。大成功だ! みんながよろこびの声をあげた。「よくやったぞー!」。おおきな拍手とともに、そんなかけ声がとびかっていた。
この腐った社会に、マスコミに、
おもいきりしょんべんをぶっかけてやれ
ライヴも中盤、八曲目。とつぜん、会場全体が赤い光につつみこまれた。おもたいドラムがうちならされ、緊張感がはしる。長渕をみると、なにかをにらみつけているような鋭い表情にかわっていた。そしておよそ人間のものとはおもえない、すさまじい雄叫びをあげたのだ。「アァァ、アァァ! アァァ、アァァ!」。闘いだ、闘うつもりだ。はげしくギターをかきならし、はじまったのは「お家へかえろう2017」。長渕が野獣のようなどう猛さで、この社会をぶったぎる。「テレビじゃ不倫だ、ホテルで激写だ、クソにぎやかしめ! あげくのはてに、謝罪会見で平和な風がふく。これが日本ですかと日の丸を透かしてみりゃ、しらけた日本の上をミサイルがとぶー!」。
わたしたちはいましらずしらずのうちに、戦争へと駆りたてられている。テレビじゃ有名人の不倫ばかりをとりあげて、こいつは常識から外れているぞ、制裁をくわえろ、謝罪会見だとまくしたてている。一億総いじめだ。ただひとを好きになっただけなのにと、そんな異論はゆるされない。じつは政治報道でもおなじことがやられていて、北朝鮮がミサイルをぶっぱなせば、マスコミがよろこびいさんでさわぎたてる。あの常軌を逸したやつらに制裁をくわえろ、謝罪させろと。アメリカといっしょに戦争でもおっぱじめたいのだろうか。それじゃダメなんだ、ひとの命をなんだとおもってるんだ、戦争に人道などありゃしねえと声をあげれば、おまえは非国民かって寄ってたかってなぶり殺しだ。
だから、長渕は問いかけるのだ。それってどうなんだ? もっともらしいきれいごとをならべておいて、そこからすこしでも外れたことをやったら徹底的に排除される。そんな管理された社会こそが、ファシズムなんじゃないのか、戦争動員なんじゃないのかと。もちろん、そういったことを声高にいえば、最初はかならず孤立するだろう。でもそれでも、ひとりでもたちあがってやる、オレは闘うぞと、そんな覚悟をもって長渕はうたうのだ。「ああ、明日の朝、ああ、国会議事堂へいこう。ああ、しょんべんひっかけてって言ってもよ、うしろみりゃ、だれもいやしねえー!」。
とうぜん会場にいるみんなも、やる気満々だ。オレもわたしもと声があがり、それをきいて長渕がこうさけぶ。「ヘイヘイヘイ! ヘイヘイヘイ! 国会議事堂まで声をひびかせろ、もっともっと! もうひとつ上へ、天井をぶちぬけ!」。そうだ、旧体制をぶちぬいてやれ。管理社会にあざむかれるな。はじめから言っちゃけないことなんてない、やっちゃいけないことなんてない、ぜんぶ自由だ。全力で暴走しろ。長渕はなんどでもうたう。戦争に人道などありゃしねえ。この腐った社会に、マスコミに、おもいきりしょんべんをぶっかけてやれ。ファシズムを根こそぎにしよう。
さて、一〇曲目にさしかかろうとしたとき、ふたたび「ハッピバースデイ、トゥーユー、ハッピバースデイ、トゥーユー、ハッピバースデイ、ディア、ツヨシ」とコーラスがかかった。それにあわせて、長渕が笑顔でガッツポーズをとる。観客もそれにあわせて、「おめでとう!」といいながら、パンパーンッとクラッカーを鳴らした。ステージには、バースデイケーキがはこばれてきて、よくみるとBlack Trainに長渕がのっている。それをみてまた会場がドッとわらい、おおきな拍手がわいた。
すると、長渕が「みんなスマホをもってるか。手にもってみな」という。みんなが手にもつと、会場のあかりがきえてスマホの光だけがのこった。キレイだ、夜空に輝く星々のようである。長渕がやさしい声で「みんなの命の灯だよー」というと、この日のためにつくってきた新曲を披露してくれた。「君も僕も生まれた」。「きっと君は星の数ほどの命の流れ星だ。きっと僕は命の数ほどのたったひとつの一番星だ。ハッピバースデイ、トゥー、ユー。僕も君も生まれた。ハッピバースデイ、トゥーユー。いまここに生れた」。とてもやさしい、やさしい歌声だった。うたにあわせて、観客もゆっくりと左右にゆれる。これがまたほんとうに流れ星みたいだった。
ひとはだれしも、ひとりで全力疾走をして、失敗をして、燃えつきてうごけなくなってしまうときがある。まっくらでなにもみえない、孤独である。でもいちど暗闇におちて、あたりをみまわしてみれば、夜空には星々が輝いている。そして、その輝きに導かれるようにあるいていると、ふと気づいてしまうのだ。記憶なんてないけれど、うまれたばかりのわたしをみて、笑顔で口づけしてくれた母。涙をながしてくれた父。わたしたちはそんなふたりの輝きに導かれて、なにかにつきうごかされるかのように、ヨチヨチとあるきはじめたのだ。なぜあるきはじめたのか、理由なんてわからない。でも、そうやってあるいてしまうのが、生きるということなんじゃないのか。
いま会場をみわたせば、おなじように、命の灯を燃やしている仲間たちがたくさんいる。そして、それはこんなにもうつくしいのだ。そうだ、どんなに孤独をかんじても、ほんとうはひとりじゃない、だれかがかならずこの僕をまっていてくれる、光り輝き導いてくれるのだ。まだまだいける、まだ生ける。ゆっくりと左右にゆれながら、みんながそうおもったにちがいない。うまれてきてくれて、ほんとうにありがとう、剛!
平和とは、いつでも好きなように、
自分の命を燃やすことができるということだ
さて、一四曲目。長渕がこうはなしかけてきた。「最高だね。めっちゃたのしいよ、今日」。すると、とつぜんこういった。「重大発表をしよう。覚悟はいいかー! ウエルカム、マイホームタウン・ライヴをやります。年末、三〇日、三一日、オレのホームタウン、鹿児島にこい!」。うわあああ!!! もう会場の歓声がおさまらない。そして、そのおもいをさらに爆発させるかのように、ズシンッ、ズシンッとおもたいドラムがうちならされた。はじまったのは、「泣いてチンピラ」だ。
「どうせかなわぬはかない夢ならば、散って狂って捨て身で生きてやれよと、あーあ!」。このことばがものすごいいきおいで心に、体にしみわたってくる。それをかんじとったかのように、長渕が尋常じゃないほど拳をあおる。ハウ!ハウ!ハウ! 全力だ。でもまだたりないと、ペットボトルの水をぶんまわし、もっとこいよと会場をあおる。ハウ!ハウ!ハウ! 苦しい、苦しい、苦しい。でもまだだ、まだまだたりない。長渕がステージをまわりながら、もっとこいよ、もっとこいよとあおってみせる。ハウ!ハウ!ハウ! 長渕が体をはってしめそうとしている。限界をこえろ、とびこえろ。それが散って狂って捨て身で生きるということだ。
そうこうしているうちに、ライヴも終盤。長渕が「まだまだいくぞー! いくぞー!」とさけぶと、「おお!」と会場からも怒号のような声がかえってくる。一五曲目、「自分のために」がはじまった。長渕がすさまじい気迫でさけびあげる。「自分のために、自分のために、生きてさえいれば、何にでも、また何にでも、なれるよ。オーオーオオッ、オーオーオオッ、オーオーオオッオ、イャーッ! イャーッ!」。会場の照明が、バチバチッと点滅をくりかえすと、これにあわせて、また猛烈ないきおいで拳があがりはじめた。まるで拳をつきあげることで、なんどでもたちあがれ、なんどでもあたらしい生きかたをつかみとれと、体でさけんでいるかのようだった。
それから、いちどステージをあとにした長渕だったが、帽子をかぶりTシャツ姿になって、すぐにもどってきてくれた。会場がどよめく。そのTシャツというのが、ミサイルを踏みつぶしたツヨシの絵に、ピースマークがはいったものだったからだ。長渕の熱いメッセージがつたわってくる。平和とは、いつでも好きなように、自分の命を燃やすことができるということだと。そして、長渕が「今年はこの地でまってるぞー!」とさけぶと、またおもたくて、はげしいドラムがうちならされた。「桜島だー! オーオーオオッ、オーオーオオッ、オーオーオオッオー」。そううたいはじめると観客のほうも両手をあげて、全力でブンブンとゆれはじめた。これが命のさけびだ、爆発なんだといわんばかりだ。そんな会場のようすをみながら、長渕が笑顔で「まってるぞー、鹿児島でー」と声をかけてくれた。心からおもう。いきたい、生きたい!
そして最後、長渕は一九曲目の「Can you hear me?」をうたい、メンバー紹介をおえると、「ありがとう!」といって去っていった。このとき、すでに午後九時五〇分。会場ではアンコールをもとめて剛コールがおさまらないが、さすがにこの時間ではもうムリなのか? そうおもったやさきのことだ。長渕がもういちどもどってきてくれた。そしてうたってくれたのは、なんと「巡恋歌」だ。ふたたび、怒号のような大歓声がわいた。みんなでうたった。みんながみんな、笑顔になっているのがわかった。しかも最後にもう一曲ということで、うたってくれたのは「おいで僕のそばに」。これがまたシビれる。あたりまえなのだが、真にうまい。信じられないくらい、たかくてすみきった歌声だった。うたいおえると、長渕は深々とあたまをさげてステージをあとにした。午後一〇時一〇分、こうして三時間にもおよぶバースデイ・ライヴは幕をとじた。